こんばんは
ないんだが…歳取ってプロレスを見続けてる方が寂しいんじゃないのか?
マッドドック・バション戦とか、アレックス・スミルノフ戦とか、キラー・トーア・カマタ戦とか、ジプシー・ジョー戦とか。
残念ながら国プロ時代のラッシャーはリアルタイムで知らないから、菊池孝先生や流智美のように語れない。
俺やオジキが昭和30年くらいの生まれだったら…間違い無く国際ファンになってただろうね。
ラッシャーと言えばイコールマイクってのが代名詞みたいになっているけど、
俺は馬場への義兄弟マイクよりも、81年9月23日田園コロシアムのこんばんは事件だな。
ハンセンvsアンドレが行われた日、まさに伝説の田コロだ。ラッシャーもアンドレも田コロも鬼籍に入った。
その義兄弟なんてのにもすっかり感化されて、俺とジョーは義兄弟なんて良くバカなことを言ってたよな。
・冬木弘道
国際の時は木村さんの付き人だったから、小さい旅館だと同室になることがある。
枕を並べてボーッとしていると、「君も動物図鑑を見る?楽しいよ」と、愛読書の動物図鑑を貸してくれるのだ。
まあ、借りた俺としても、一応「面白いっすね」とは言っていたんだが…とにかく木村さんは人が良かった。
そんな木村さんには、しょっちゅう飲み食いにも連れていってもらって可愛がってくれた。
俺たちにとっては、国際はぐれ軍団&国際血盟軍だよな。はぐれ軍団の時はブーイングしてすまなかった。
まだ俺も小学校低学年だったから…1vs3だとかとんでもないよな。悪人ほど生き残るって本当かもね。
今考えてみりゃ、あの冷遇に耐えたラッシャーは本当に大人だったよな。
第1次UWFをやめて、新日本に戻るだろうと俺も含めて誰もが思っていただろうラッシャーに声をかけて、
84年世界最強タッグでのパートナー、ミステリアスXとして呼び戻したのは馬場だった。
今は亡き、キャピトル東急ホテルの「オリガミ」で全日入りを誘う馬場、
ラッシャーは大先輩の馬場を目の前にして、あまりの緊張で食事に一切手を付けられなかったそうだ。
そして、84年12月8日愛知県体育館